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◆ 作者:松井正光
◆ 直径:約50mm
◆ 重量:約25g
◆ ポーチ付
★ 愛の守護神
愛染明王は、愛の成就に強烈な力を発揮してくれる密教の尊格です。出会いをもたらし、恋愛を成就させ、愛情に満ちた円満な家庭を作ります。現在問題がおきている場合は速やかに解決してくれます。愛欲を肯定し、人間を高めるエネルギーに昇華させるのが愛染明王であり、悩める方に積極的に力添えしてくれるのです。
愛染明王はまた、あらゆる障害を除去する強烈な力を発揮してくれます。激しい憤怒の姿で心を寄せる人のボディガードとなって、行く手を阻むものを取り除いてくれます。恋愛や家庭問題ばかりでなく仕事や人間関係、金銭問題においても愛染明王は強い力で問題を解決してくれます。特に人間関係の修復・改善は一番得意とするところです。
とにかく力が強い、功徳が大きい、効果が早いのが愛染明王の特徴であり、皇族から貴族、戦国武将にいたるまで数多くの歴史的人物が守護神としました。そのパワーは日本史をも動かしてきたのです。
★ 直江兼続の守護神
テレビドラマで広く知られるようになった戦国武将・直江兼続。彼の兜の「愛」の字こそ、守護神である愛染明王の愛です。愛の字の下に瑞雲が描かれていることから、多くの歴史学者が愛染明王の愛であると説明しています。
愛染明王を守護神とした直江兼続は妻・お船と深い信頼関係で結ばれ、愛情に満ちた幸せな家庭を築きました。側室を持つことが当たり前の時代、兼続は生涯側室を持たず、妻・お船だけを深く愛しました。
実はお船の最初の夫・直江信綱は亡くなっています。若くして未亡人となったお船のもとに婿入りして幸せをもたらしたのが、3歳年下の兼続だったのです。1619年(元和5年)に兼続が死去するとお船は剃髪して貞心尼と号し、愛する夫の菩提をとむらいながら81歳の長寿をまっとうします。
兼続は良き夫で有能な武将であったばかりでなく、愛染明王の加護でたいへんな強運の持ち主でもありました。生涯何度も絶体絶命の危機を迎えながらも寸前に脱し、ついには主家を存続させることに成功したのです。
★ 丁寧に開眼入魂
愛染明王懐中守護尊を開眼入魂した菅澤照真師は、高野山真言宗で伝燈大阿闍梨(でんどうだいあじゃり)の位を持つ、潮音寺の住職です。
高野山の伝燈大阿闍梨は学問研鑽行事である勧学会に何年も出仕して修学し、阿闍梨位についてから15年から20年を経て、約10年に1度しか行われない学修灌頂に入壇した僧侶のみが昇進できる位。学修灌頂は完全な秘儀ですが、高野山御影堂で弘法大師空海御影に直接接し、直弟子になるものといわれます。
伝燈大阿闍梨は、加行を終えた僧侶に密教の秘法を伝える伝法灌頂においては、大阿様として導師になる立場です。
そんな菅澤師ですが、助けを求める市井の人々の相談にのり、法力で大勢を救ってきました。師の加持祈祷は、受け手の方々を目の前にしている場合だけでなく、顔も見たこともない遠方の場合でも効果をあげています。雑誌「パワースペース」の特集で、「ガンを治す驚異の密教僧」として紹介されたこともあります。
また気さくで暖かい人柄を多くの人に慕われ、求めに応じて全国を飛び回ってきました。
菅澤師はまだ高校生だった頃、人生の転機となる神秘体験をしています。導かれるように川に入ったとき、目の前に太陽のようなものがあらわれ強烈な光に照らされたのです。その太陽はどこを向いても正面に見え、非常に心地良かったといいます。まだ正式に行に入る前でしたが、以後友人知人のため祈ってあげると、面白いように願いが叶うようになりました。
やがて高野山別格本山遍照光院前官・酒井真典師(高野山大学元学長)の弟子となり、高野山大学密教学科に学びます。級友たちは菅澤師がなにか口に出すと、話された内容が次々と実現してしまうと怖がったといいます。
3回生のとき、究極といえる体験をします。当時菅澤師は、なにかに呼ばれている気がして高野山奥の院(空海入定の地)に1日5回も通っていましたが、あるとき自分の中で過去・現在・未来が同時に整列し、不生不滅の意識そのものとなり、自他の区別のない慈悲の意志だけがある世界を体験したのです。この体験以後、菅澤師の法力はいよいよ強烈なものとなり、病者加持の祈祷を学ぶと凄まじい効果を発揮しました。新米だった菅澤師のもとに、当時の高僧等から病気平癒祈祷の依頼がきたほどです。
高野山大学を卒業したあとも、菅澤師は台密(天台密教)、チベット密教、神道、キリスト教、ユダヤ教、ヒンズー教を学びました。第二回シカゴ世界宗教者会議に参加したときは、ダライ・ラマ法皇に接見しています。現在でも多い時は年に3回もインドに行くなど、多忙な日々を送っています。
弊社では菅澤師に依頼し、愛染明王懐中守護尊を開眼入魂していただきました。開眼とは心の眼を開き、魂を込めること。「性根」が入ることで、美術品でなく、持つ人を本当に守る守護仏になるのです。
真言密教は富裕になることも、立身出世も、良き異性に巡りあうこともすべて肯定すると菅澤師はいいます。この身このままで悟りを開くと共に、繁栄、健康、成功、名声等の全てにおいて、自分自身の人生を完成させるものだといいます。過去でも未来でもなく、現在が大切なのであり、それで無ければ私達の人生とは何なのでしょうと説きます。
伝燈大阿闍梨が直々に開眼された愛染明王懐中守護尊は、愛にあふれた素晴らしい人生をもたらすことでしょう。
★ 神々しい美しさ!
愛染明王懐中守護尊の原型は、伝統工芸の第一人者である松井正光氏が丹精込めて作り上げました。正光氏は国宝の復元や、古くは東京オリンピックの記念メダル制作を担当した一流金工作家です。この道一筋に生きてきた匠が、精密無比な技を見せてくれました。作品はコンマミリ単位まで精緻に彫り上げられ、しかもこの小ささで、愛染明王が立体的に浮かび上がる最高度の技術が駆使されています。
美術品としても高い価値を持つ愛染明王懐中守護尊。ぜひこの機会にお迎えください。生涯を変える出会いとなることでしょう。
★ 愛染明王の歴史
◆ 皇族・貴族の守護神として
愛染明王は弘法大師空海によって日本にもたらされた由緒正しい密教の尊格です。その名前は愛欲をむさぼる心(愛欲貪染)を清浄な心に昇華させることからきたもので、秘経の『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』(略して『瑜祇経(ゆぎきょう)』)に登場するほか、空海請来の画像が平等院に存在していたと平安時代末期の記録にあります。ローマ神話の愛の神キューピットと同じく弓と矢を手にしており、洋の東西を問わず愛の神が弓矢を手にしている事実は注目に値します。
空海がもたらした当初は知る人ぞ知る存在でしたが、平安末期に皇族や貴族の間で、愛染明王を守護神として敬愛を祈ることがブームになります。愛染明王はとにかく力が強く、祈願の効果が素早く出ることから噂が噂を呼んで広まったのです。特に1068年(治暦4年)皇太子の護持僧・成尊が愛染明王に祈ったところ、皇太子が瞬く間に即位されて後三条天皇になられた事例があり、この日本史に関わる重大事件が貴族社会のブームに拍車をかけました。後三条天皇が大切にされた愛染明王像は、白河天皇が法勝寺を建立するとき八角堂に安置されたと『阿婆縛抄』は記しています。
◆ 元軍撃退の祈祷
鎌倉時代になると武家も愛染明王を守護神とするようになります。日本が未曽有の危機に直面した元寇のときには、元軍撃退の祈祷が愛染明王の前でさかんに行われました。1281年(弘安3年)、男山八幡宮で必死の祈祷が行われていたとき、愛染明王像が不思議な音を発すると手にした矢が元軍の方向に飛んでいったと『若宮見聞記』に記されています。ほどなくして元軍は壊滅し、我が国は危機を脱します。
◆ 後醍醐天皇、後村上天皇の守護神
南北朝時代には後醍醐天皇が愛染明王を守護神とされました。帝は1334年(建武元年)に玉体安穏を祈願して等身大の愛染明王像を作らせ、高野山に安置されました。この愛染明王は現在でも高野山中心部の愛染堂に祀られており、多くの参拝者に親しまれています。
後醍醐天皇は、廉子准三后とたいへん仲睦まじく愛情に満ちていたことで知られています。准三后は常に帝に寄り添い、建武の新政を力強く支えられました。
後醍醐天皇の皇子の後村上天皇も愛染明王を守護神とされました。現在後村上天皇の念持仏だった高さ6.2cmの精緻な愛染明王像は、河内の観心寺で厳重に保管されています。
◆ 実力本位で広まる
室町時代以降愛染明王はますます広がりをみせ、数多くの武将から戦勝の神として崇められました。また水商売の女性の間でも恋愛の神としてそのパワーが活用されるようになりました。かつて皇族・貴族の守護神だった愛染明王は、一般市民にいたるまでその力を享受できるようになったのです。いまでは不動明王とともにもっとも身近な明王として親しまれています。
★ 絶体絶命の危機から脱出!直江兼続と愛染明王
愛染明王に守られた直江兼続は、主なものだけで生涯3度も絶体絶命の危機から脱しています。その事績をみるとき、人智を超えた力が働いていたことを感じずにはいられません。
最初の危機はまだ19歳の天正6年(1578年)。上杉謙信が亡くなり、主君・上杉景勝とともに後継をめぐる「御館の乱」に巻き込まれたときです。その時点で景勝・兼続サイドは圧倒的に不利でした。ライバルの三郎景虎は上杉一門衆の支持を集め、北条氏、さらには武田氏、伊達氏、蘆名氏の力を背景としていました。
存亡の危機を迎えた景勝・兼続は、電光石火で動きました。上杉謙信葬儀の日、春日山城の本丸を占拠し、金蔵にあった3万両の黄金を先に押さえることに成功するのです。そして討伐に向かってくる武田軍に1万両を渡して同盟を結び、味方に引き入れてしまったのです。これで戦いの趨勢が決まり、景勝・兼続は絶体絶命の危機から脱して越後平定への道筋をつけたのです。
◆ 多勢に無勢
2度目の存亡の危機は天正10年(1582年)。後継者争いに勝利して越後の支配者となったあと、織田信長の軍勢が3方向から攻めてきたのです。同盟を結んだ武田氏はすでに滅亡し、多勢に無勢、上杉家はいよいよ存亡の機を迎えます。兼続は死を覚悟します。
そのとき、予想外の出来事が起きます。なんと織田信長が本能寺の変で殺されてしまうのです。越後を攻めていた滝川一益や柴田勝家は一斉に引き揚げました。
その後信長の後継者となった秀吉は景勝・兼続はたいへん重んじ、やがて景勝は石高120万石の大老となりました。兼続も29歳にして上杉家の単独執政となります。驚異的な強運というほかありません。
◆ 家康にケンカを売る
3度目の危機は慶長5年(1600年)。秀吉亡きあとに実力者となった徳川家康が景勝を呼び出したのに対し、兼続は世に名高い「直江状」を叩きつけてケンカを売ったのです。内容は簡単にいえば「来るなら来い!」。手にした家康は激怒したといわれ、すぐさま討伐を決意して遠征軍を送り込んできました。
今度こそいよいよ滅亡かと思われたそのとき、家康の背後で石田光成が兵を挙げます。家康遠征軍はやむを得ず西に引き返し、関ヶ原の合戦となりました。
合戦に家康が勝利したあと、兼続は上杉家存続のための交渉を開始します。相手は直江状を叩きつけた家康。今度こそ死が目前に迫った思いだったでしょう。
ところが取り潰される大名が出るなか、兼続は上杉家を存続させることに成功するのです。そして減封とはいえ米沢30万石の領地を与えられます。
米沢で産業振興に力を尽くした兼続は、元和5年(1619年)に60歳で亡くなります。愛染明王に命を託し、「愛」を兜の前立として危機を乗り越えてきた兼続の生涯が、愛染明王の力の何よりの証明でしょう。